八雲立つ スサノオとアマテラスの関係は ?

連休に、以前から行ってみたいと思っていた島根県にドライブに出かけた。
目的地は、なんとなく出雲大社。
たよりは、ドライブ出てから近くの本屋で買った「るるぶ松江出雲」のみ。

http://www.kankou.pref.shimane.jp/pickup/spot/area_izumo.html

とりあえず一番目は、八重垣神社。島根県松江市佐草町。
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松江市佐草町は、宍道湖にのぞむ松江市の郊外にある。
ここの八重垣神社に、スサノオ・アマテラス・イナダヒメらの絵がある。これを見たいと思った。
この八重垣神社は、古くは佐久佐神社と称したが、中世に大原郡大東町須賀の八重垣神社を迎え、相殿とした。社号には変遷があり、大正時代以後八重垣神社と称して現在に至っているとのことだ。祭神は須佐之男命・稲田姫命。

須佐之男命(すさのおのみこと)とは、
伊邪那岐命(いざなきのみこと)・伊邪那美命(いざなみのみこと)の子。天照大神(あまてらすおおみかみ)・月読命(つくよみのみこと)の弟。素盞鳴尊とも書く。速(はや)須佐之男命、建速(たけはや)須佐之男命とも。大国主神の父。

古事記では、伊邪那岐命より海原を支配するよう命ぜられるが、従わず、八拳髭(やつかひげ)が胸先に至るまで泣きわめいて、青山を枯山にし、河海を泣き乾した。父に咎められると、「僕は妣(はは)の国根の堅洲(かたす)国に罷らむとおもふがからに泣く」と答え、怒った父神によって追放を命ぜられた。姉に別れを告げに天上へ向かった須佐之男は、ウケヒによって三柱の女神を産む(多紀理比売・市寸島比売イチキシマヒメ・田寸津比売の宗像三神)。これを勝ち誇って、大御神の田を荒らし、御殿に糞をし散らした。須佐之男の悪行はやまず、ついに天照大神は天の岩戸にこもり、八百万の神は須佐之男の髭と手足の爪を切って高天原から追放した。


出雲の国に降った須佐之男は、八俣の大蛇から櫛名田比売(くしなだひめ)を救い、姫を妻に得て、須賀の地に新婚の宮を建てた。この時詠んだ歌が「八雲立つ…」であり、古今集仮名序などに見られるように、古くから短歌の起源と信じられた。

八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を(古事記)
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【通釈】雲がもくもくと何重にも立ちのぼるよ、雲が湧き出るという名の出雲の国に、八重垣を巡らすように、雲が立ちのぼるよ。妻を籠らすために、俺は宮殿に何重もの垣を作ったけど、ちょうどその八重垣を巡らしたようになあ!

◇八雲(やくも)立つ 「出雲(いづも)」の枕詞。「八雲」は数限りない雲、あるいは勢いが盛んな雲をあらわすと思われるが、かつては八色の雲(瑞雲)と解するのが普通だった。
◇八重垣(やへがき) 何重にも巡らした垣。
◇妻籠(つまご)みに 新妻を籠もらせるために。一説に「こみに」を「もろともに」の意とし、「妻と共に」と解する。


ヤマタのオロチを退治して稲田姫を得た須佐之男命は、新婚の宮を造るべき土地を求めて出雲の国をさすらった。須賀の地に至ったとき、「ここに来て我が心は清々しくなった」と言って、そこに宮を造ることにした。故に、その地をいま須賀というのである。須賀の宮を造り始めたとき、雲がたちのぼった。そうしてよんだのが上の歌であるという。

社務所で壁画の拝観を申し出ると、「スイッチをつけてご自由にご覧下さい」とのこと。
誰一人いない収蔵庫。ほの暗いなかに浮かび上がる画。
今では、架空の人物だとされているスサノオ。でもここの画を見るかぎり、スサノオや稲田姫がそこに住み、生活したという跡が確実にあるように思われる。
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ただ、ここの画には不思議なことがある。
この壁画は、寛平5年(893)に、宇多天皇が出雲国庁を造営したさいに描かれたもので、当時の日本画の巨匠、巨勢金岡コセノカナオカの筆とされている。そこには須佐之男スサノオ、稲田姫イナダヒメ、足名槌アシナツチ、手名槌テナツチ、天照大神アマテラス、市寸島比売イチキシマヒメの六神像が描かれている。

スサノオと稲田姫
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八重垣神社はスサノオと稲田姫の愛の社であるのだから、その二人を中心として稲田姫の両親(足名槌アシナツチ、手名槌テナツチ)が描かれているのはいいとして、なぜここに、出雲族とは敵対する天孫族の祖神であるアマテラスが同居し、市寸島比売イチキシマヒメまでが描かれているのか。

「記紀」によれば、スサノオとアマテラスは姉弟であるが敵対する関係にあるとされている。しかし、市寸島比売イチキシマヒメはスサノオとアマテラスの娘とされている。とすれば、この二人は近親相姦であることになるが、スサノオの悪行で天の岩戸に隠れるようなアマテラスと、それによってスサノオは追放されたのだから、なんとはなく不自然だ。
ここに書かれている画が自然であればあるほど、どうも「記紀」に書かれていない、他の理由がありそうで、当時の人はみんなそれを知っていたのかも知れない。

ここから少し近い場所に、スサノオの御陵に建てられたと伝わる出雲一の宮の熊野大社がある。
スサノオがオロチ討伐ののち初めて宮を置いたという須我神社はここにある。
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八雲立つ風土記の丘を経て、さらに西に車を走らせる。
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稲田姫と結婚し出雲王国を治めたスサノオには、八人の子供があったといわれている。
それを語る神社が全国にある「八坂神社」だ。八坂は弥栄ヤサカ(いよいよ栄える意)から転じたもので、八人の子供たちが優秀で大変栄えたという意味からついたものだそうだ。
出雲にもあるが、「八坂神社」の総本山は京都の祇園さんだ。
主祭神・須佐之男命・稲田姫命、その他、八柱御子ヤハシラノミコを祀るとある。

このスサノオの第八子である須世理姫スセリヒメと結婚したのが大国主命である。と記紀には記されている。でも、出雲神話では、大国主命をスサノオの皇子としている。なんだかこのあたりになると話が混乱してよくわからない。でも、出雲の勢力をスサノオから受け継いだのが大国主命であることだけは確かなようだ。

翌日は出雲大社からスタートした。

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出雲大社
出雲大社の祭神大国主命は、「大己貴神(おおなむちのかみ)、八千矛神(やちほこのかみ)、所造天下大神(あめのしたつくらししおおかみ)、葦原色許男神(あしはらしこおのかみ)、大物主神(おおものぬしのかみ)」などの別名で呼ばれている。
芥川龍之介の小説「老いたるスサノオ」では、葦原醜男《あしはらしこを》として登場している。

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出雲大社は、わが国最古の神社建築を誇り、古来より伊勢神宮と並び称されている。
「古事記」には大国主命の国譲りの項に「私の住む所として天子が住まわれるような壮大な宮殿を造ってくれるのなら、国を譲り、世の片隅で静かに暮らしましょう」ということで造営されたと記されている。

大国主命
http://www.highlight.jp/izumooyashiro/02.html
出雲大社のオオクニヌシとウサギ
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また、平安時代の「口遊」(源為憲著、天禄元年・970成立)には、全国の大きな建物の順として「雲太、和二、京三」と記され、これは出雲太郎、大和二郎、京都三郎のことで「一番出雲大社、二番東大寺大仏、三番京太極殿」を意味し、その巨大性を示す有力なあかしとなっているそうだ。
平安時代、「雲に分け入る千木…」と高さ十六丈(48m)もの壮大さが歌われた本殿の模型は、島根県立古代出雲歴史博物館に置かれている。
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だがなぜ、国譲りを行ない、その為に壮大な宮殿を作らせたのかはよくわからない。

さらに、出雲大社から近くの日御碕で灯台を見学に、
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出雲日御碕は、出雲大社で知られる、島根県北東部にあたる島根半島のほぼ西端の岬で、 石英粗面岩から成る隆起海食台地で、日本海の荒波の洗う断崖と、黒い肌の岩礁が印象的な海岸だ。
ここには仏教の経文を積み重ねたような岩の形から名づけられたとされる経島フミジマがあり、ウミネコが有名だ。

経島とウミネコの夫婦
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日御碕にある日御碕神社は、三代安寧天皇の勅命によって建てられたという出雲屈指の古社だ。
日御碕神社と神の宮スサノオ
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祭神は、
神の宮(上の宮) 須佐之男命
日沈宮(下の宮) 天照大御神
となっている。
最初に祀られたのは、もちろんスサノオの方だ。始めは現在地の背後の隠ヶ丘に鎮座していたが、死後100年ほど後に、三代安寧天皇の勅命で今の地に遷されたとのことだ。さらに「日沈宮」のアマテラスは、ウミネコの繁殖する経島に鎮座していたが、村上天皇の天歴2年(948)に、勅命により現在地に遷されたという。

天照大御神(アマテラス)とは、
記紀によれば、アマテラスの両親はイザナギ・イザナミ。出身地は日向の国、現在の宮崎市周辺だとされている。宮崎市周辺には天照大神を祀る神社も多い、さらに上北方には天の岩戸神社もある。伝承が語るアマテラスの出生地は南九州、宮崎市付近であるという説が有力だ。


では、なぜここにスサノオとアマテラスが祀られているのか。
出雲のスサノオが日向に侵攻し、南九州の日向族の王権と和解することの代価としてアマテラスと政略結婚をした という説がある。

この日御碕神社にある神の宮と日沈宮。あたかもスサノオを慕い遥かな日向の国から日沈出雲の海辺へ、しずかに訪ねてきたようなアマテラス。始めは政略的な結びつきであったが、知性と情熱にあふれるアマテラスは、スサノオの壮大な夢の理解者となり、最大の理解者となったのではないか。そういわれれば、八重垣神社の壁画と日御碕神社の祭神がスサノオとアマテラスであることも理解できるような気がする。

なんだか、すっかり時間がたってしまった。
出雲大社の近くにある出雲阿国の墓を参り、ルイスティファニー庭園美術館を経て、松江まで車で戻った。
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小泉八雲と松江城。とおりいっぺんの観光をすませて、帰路へ。
小泉八雲記念館と八雲像
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松江城と外堀
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連休が終れば、古代から現代に逆戻りだ。

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この記事へのコメント

ルネ
2006年09月13日 23:11
すごい ですね あまり しらない ですけど
さるたひこ
2012年05月09日 04:16
興味深く読ませて頂きました。古代史は面白いなぁ。

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