北町奉行所から南町奉行所まで、銀座を通って

東京駅八重洲北口を出ると国際観光会館があり、その前に「いれずみ奉行」の名で呼ばれる遠山左衛門(遠山金四郎)で有名な北町奉行所跡があり、そこには小さな碑があるとガイド本には書いてあった。

オランダ人ヤン・ヨーステンは、東京駅「八重洲口」。イギリス人ウィリアム・アダムスは、日本橋本町1丁目の「按針通り」の地名の由来となっている中で、こちらは純国産だ。

江戸時代、遠山の金さんは北町奉行所の名奉行として名高かい人であった。ただ、彼には秘密があり、それが「遊び人の金さん」という裏の顔を持っていることと、右肩に桜吹雪の刺青があることだった。
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彼は、一度事件が起きれば、遊び人の金さんとして事件の捜査にあたり、犯人たちを打ちのめす(その際、右肩の桜吹雪の刺青を見せる)。それから、奉行として、その犯人たちを裁くことになるが、奉行が遊び人の金さんだということに気付かない悪党どもは、証拠が不十分なことをいいことに、しらばっくれる。しかし、そこで業を煮やした金さんが、右肩の桜吹雪の刺青を見せつけ、悪党どもはようやく奉行=金さんということに気付き観念するというような話。

でも、金さんは人が悪い。犯人を捕まえたあと姿を隠し、奉行所でそれは実は俺だったと、たんかをきる。わざわざ悪党を連れてきて奉行所でさらしものにしなくても、捕まえた時点で、俺は北町奉行だとすればいい筈なのに。
この日、北町奉行所跡も姿を隠していた。どうやら再開発地域になっているようで工事現場の中にあり片付けられていて見当たらない。

外堀通と八重洲の変遷について
明治頃までは日本橋、京橋から丸の内に入るには、外濠を渡らなくてはならなかった。そこに架かっていた橋が呉服橋、鍛冶橋、そして丸の内の八重洲に通じる八重洲橋だった。
この八重洲橋が今の東京駅八重洲口の所に架かっていたのが地名の由来だそうだ。
大正3年(1914)、東京駅の開業の際には八重洲橋は撤去され、駅の乗降口も丸の内側にしかなかった。関東大震災後に東京駅八重洲口ができ、大正14年(1925)に再び八重洲橋が築造された。しかし昭和23年の外濠の埋め立てにより橋は再び消え去った。その堀が道になって外堀通りと呼ばれている。そして昭和29年(1954)に、日本橋呉服橋・槇町が八重洲と改称し、初めて中央区八重洲という地名が生まれたそうだ。


呉服橋と鍛冶橋の間にあるのが八重洲橋。八重洲橋のことを中橋とも呼んでいたそうだ。
中橋といえば、落語の「金名竹」
再び、インターネットでお世話になっている【千字寄席】さんから、
http://senjiyose.cocolog-nifty.com/fullface/2005/09/post_d5b2.html
中橋の加賀屋佐吉から使いのものが来て、早口の関西弁で、それに符丁を混えてまくし立てるので、与太郎さんも奥さんもさっぱりわからない。その口上にでてくる、難解な単語がみんなを苦しめる。・・・ 「あいつに道具七品が預けてあるんだが、買ってったか?」「いいえ、買わず(蛙)です」というのがオチ。

東京駅を背中に八重洲通りを進むと、ヤン・ヨーステンのいる中央通りの交差点に出る。このまま真っ直ぐ進めば、江戸時代岡っ引きや目明かしの親分達が多く住んでいた八丁堀となる。
右に曲がれば京橋に出て、その向こうが銀座となる。新橋を越えれば旧東海道となり、品川から京まで足を延ばすことが可能だ。

京橋の碑のある場所の近くには、警察博物館がある。
ここには岡っ引きはいなかったけれど、ピーポくんがいた。
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「京橋」という地名は、江戸時代、東海道を日本橋から出発し、京都に行くときに通る橋ということからつけられた名前だそうだ。日本橋が、大店が並ぶ富裕な繁華街であったのに対し、こちらは小さな商店が軒を連ね、職人も多く住んでいる庶民の町であったのだ。

今も、日本橋あたりにある企業と、京橋近くにある企業ではその雰囲気が違う。大店の日本橋に比べて、京橋近くにある企業は、中小企業や新興の成り上がり企業、あるいは職人気質を持つ企業が多いのかも知れない。さらには、その企業の中には、中橋からの使いで早口な関西人が多くいる企業もあるかも知れない。

京橋を越えると、そこは職人の浮島でもあった銀座だ。
銀座という地名は、江戸幕府が銀貨鋳造所をこの地に置いたことに由来している。駿府(すんぷ 今の静岡市)にあった銀座を、1612年(慶長17年)に江戸に移したそうだ。
その頃の職人は「座」という組合を作って、自分たちの権利を守ろうとした。いわばギルドであり、職人どうしのネットワークを持ち、権力からの介入を食い止めようとしたのだ。
銀を吹いたり加工したりする職人のつくる「銀座」も、他からの侵入を許さないような雰囲気があった筈だ。銀座の他にも、金座、枡座、秤座、朱座などがあったが、金貨を鋳造した金座は、同じ江戸の常磐橋門外、今の日本銀行がある場所にあった。

銀座一丁目と銀座発祥の地
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江戸に幕府が置かれた初めの頃、銀座のあたりは浜と海だった。 
家康から家光にかけて、幕初の将軍たちは江戸の町づくりに、力をいれなければならなかった。そこで、海を埋め立てて、土地を造る工事に、譜代大名の力をあてた。この“天下普請”によって生まれた土地には、工事にあたった大名の領地名が付けられたのだそうだ。

バーチャル銀座ツアー
http://www.ginza.jp/tour/index.html

銀座1丁目から4丁目に接した西側には、南紺屋(みなみこんや)町、鎗屋(やりや)、弓町など。5、6丁目は尾張町。銀座7丁目は竹川町、8丁目は出雲町と南金六町。時代によって少しずつ町名も、町の区分も変わっている。

銀は貨幣として、江戸時代にはもっとも重要な金属と考えられていた。諸外国との貿易においても銀を輸出し、外国の種々の品物と交換していたのだ。
家康は、銀の貨幣商人を掌握して、貨幣を国家で管理しようとした。それが銀座の成立の背景だ。江戸前に新しく出来た埋立地、銀座は職人の町であった。それはその周辺にある農村とは一線を画した、非農業民、つまり都会人の集まりでもあったのかも知れない。

銀座がハイカラで高級で、しかも無機質である理由はここにある。
さらに銀座がモダンになった事件があった。それは、明治2年から5年にかけて、立て続けにおこった大火災だ。
あたりは完全な焼け野原となり、「文明開化」の幻想に包まれた官僚たちが、ここ一帯に煉瓦造りのあたらしい家並みを作り上げ、外国港のある横浜からの鉄道の終着駅であった新橋駅を降りた外人のための、東京の表玄関にしようとしたのだ。銀の持つ高級感は宝石店を集め、外国のブランド品の店が多くできた理由はここにあるといえる。

和光(服部時計店セイコーの本社だった)と山野楽器
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ブランド物に縁のない私は、とりあえず山野楽器で「Blues Hanon」ジャズピアノの教則本を買った。さすが近くの楽器屋では取り寄せ品だったが、ここにはきっちり陳列されていた。
練習もあまり出来ていないが、教則本のみ増えていく。

和光を左に曲がると歌舞伎座。右に曲がると有楽町だ。
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有楽町マリオンの近くに、南町奉行跡があるとガイドブックに書いてあった。その辺りに立っている町地図にもその場所の印がある。けれどいくら歩いても見つからない。しかたないので、この人なら必ず知っている筈だと思われる人物にその場所を尋ねた。
「その場所はこの近くだが、今は再開発地域となっており、その碑は無い」との返事。
しかたない、ここを南町奉行跡としよう。
有楽町駅前交番だ。
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江戸南町奉行で有名なのは、大岡越前だ。8代将軍徳川吉宗に抜擢され町奉行を務め庶民に慕われたそうだ。僕にとっての大岡越前は、きっぱり無いと返事したその警察官だ。

近くの数寄屋通りには岡本太郎まで居た。
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「有」に代表されるモノ・物・商品の対極にあるのが「無」である。その中に何も無いものの代表が神社である。銀座に神社は似合わないと思っていたけれど、商店街の中にひっそりと神社があった。

銀座で見つけた豊岩稲荷神社。
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銀座には社があまりないと思っていたが、12ヶ所もあるのだ。それをここで知った。
http://www.ginza.jp/tour/e-tour/e-start.html
銀座八丁に12ケ所あるお社(やしろ)や祠(ほこら)。ビルの頂上やビルの谷間に、鎮座している。

銀座のはずれ新橋までたどり着いた。
汽笛一声新橋を はや我汽車は離れたり
「鉄道唱歌」の最初の歌詞だ。でも新橋駅前の鉄道はアスベスト除去のため閉鎖されていた。

明治初期、新橋では新橋芸者、別名「コーチン芸者」が台頭していた。これはお高くとまった銀座の「金春芸者」に対抗して、名古屋から大挙して上京してきた女たちが、はでな商売をはじめたのだ。気位の高い銀座芸者に対して、気軽に遊んでくれる新橋芸者が、近くにあった官庁街に勤めている田舎役人にはありがたかったのだ。

新橋駅の高架下の寿司屋で、晩酌セット頼んだ。今日はここが終着駅だ。
カウンターに、一人で入って来てるおっさんたち。
それぞれが、勝手に寿司屋の大将に、ポツリポツリと話かけてる。

銀座の馬券場の帰りと思われる人。
「最近、銀座の女もチャラチャラしたやつが多いね。気になってしかたないね」
「あ それなら品川にも馬券場ありますよ」 それで会話終り。
仕事帰りと思われる人。
「大将、知ってる 銀座で大きな餃子を食わす店」
「あ 天龍ですか・・」
「いいね あの店は」「うん」・・それで会話は終り。

そこに、アベックが入ってきた。
男「何握ってもらう」
女「そうね、はまちと・・・」

そこにいた男三人。会話が止まってしまった。
僕を含めて三人とも、耳がダンボになってしまった。競馬新聞あらためて広げる人。スポーツ新聞をカバンから取り出す人。僕は山野楽器で買った教則本の封を切って意味も無く見だした。

みんな思った筈だ。彼女はコーチン芸者だ。この与太郎は新橋芸者をどう口説くのか。
晩酌セットのビールをおかわりしたが、少し酔った僕はそこで帰ってしまった。
明日はピアノの練習をしよう。

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