神楽坂奇譚 植松眞人と夏目漱石

植松眞人は、コピーライターであるが、小説も発表している。短編が多いが、作品はすべてネットの図書館『青空文庫』で公開されている。だいぶ以前、この人の神楽坂奇譚を読んだことがある。なんとも不思議な雰囲気の奇譚だ。今日は神楽坂を歩いてみよう。

JR飯田橋駅東口で降りて、津久戸小学校に進むと厚生年金病院の裏側に築土ツクド八幡神社がある。新宿区内最古の鳥居だそうだ。

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祭神は応神オウジン天皇、神功ジングウ皇后、仲哀チュウアイ天皇となっている。
八幡神社は各地にある。なぜなのか疑問に思っていたところだった。
たまたま、逆説の日本史「古代黎明編」井沢元彦を読み直していたところだ。日本史の中で、謎の世紀といわれているのが4世紀から5世紀にかけての時代だ。その時の登場人物がこの三人である。第14代仲哀天皇の奥さんが神功皇后であり、その子供が第15代応神天皇だ。

「古事記」によれば、
仲哀天皇は熊襲を征伐するために筑紫にやってきた。今後のことを決めるために、神功皇后が巫女となって暗闇の中で神託を求めた。しかし仲哀天皇はこの神託を疑った。建内宿禰大臣タケノウチスクネノオオキミは神をなだめるよう天皇にすすめたが、仲哀天皇はこれを聞かなかった。明かりがついたときには仲哀天皇は既に死んでいた。
との話がある。

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詳細は、井沢元彦の古代黎明編 神功皇后編にあるが、結論は皇后と建内大臣が仲哀天皇を暗殺したのではないか、そして応神天皇は建内大臣との間の子供ではないかという説だ。
もしそうであれば、その後各地に渡った建内大臣の子孫たちが、仲哀天皇が怨霊とならないように自分たちの祖先と一緒に祀ったということで理解できる。
八幡神社の総本山は九州大分県にある宇佐八幡宮である。

今度は、JR飯田橋西口前の牛込橋に戻る。ここには牛込見附門がある。
飯田橋駅から四ツ谷駅付近まで、1636(寛永13)年につくられた江戸城外堀が残っている。

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この牛込橋から神楽坂下交差点を渡り、直進して神楽坂通りをのぼると、8分程度で善国寺に着く。神楽坂毘沙門天として信仰を集め、山手七福神の一つとなっている。

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ここが、植松眞人の神楽坂奇譚の最終の舞台だ。私は誰にも声をかけられないようにひっそりと歩いた。

神楽坂奇譚 植松眞人
http://www.vesta.dti.ne.jp/~isana/aozora/kagurazaka/kagurazaka.html

地蔵坂を登ったあたりが牛込城のあったところだ。光照寺(浄土宗)がある。

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光照寺の向かいには日本出版クラブ会館がある。このあたりには出版会社が多い。神楽坂通りに戻り、さらに上がると神楽坂上に着く、交差点には細木数子の事務所があった。神楽にのせて神託・占いはよく行われる。それでこの場所にあるのだろうか。

さらに上がると音楽の友社、少し脇に入ると新潮社がある。私はスイング・ジャーナルを昔よく読んでいた。音楽の友社と関係があるのだろうか。神楽坂にある音楽の友社は横に音楽の友ホールまである。

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音楽の友社を越えて右に曲がると赤木神社があった。
境内には蛍雪天神や出世稲荷神社がある。

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このあたりはわき道に入ると石畳の路地が多い、石畳の具合も路地ごとに微妙にことなっている。黒塀があったりもする。いまだに黒塀が残る街並みには着物姿の女性が似合いそうだ。
神楽坂は昔、山手の銀座と呼ばれていたそうだ。

神楽坂を登りきると、牛込天神町となり早稲田通りとなる。これをさらに行けば早稲田に着く。
牛込天神町の次の天神町には、創業280年の看板がある肴屋三四郎の看板があった。ということは漱石が「三四郎」を書く前からこの店は創業していたのだ。

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この天神町を少し南に下がったところに漱石公園がある。
夏目漱石終焉の地だそうで、横に則天去私と書かれた銅版と漱石の銅像がある。後ろには「猫塚」と呼ばれる多重塔もある。漱石は落語や講釈を好んでいたそうだ。

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さらに早稲田通りに戻り、営団東西線の早稲田駅を左折すれば、夏目坂がある。漱石誕生の碑は吉野家の牛丼店の横にひっそりとあった。新宿区喜久井町1

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夏目家は明治維新までこの一帯の名主であり、苗字帯刀を許されたそうだ。

夏目漱石の「硝子戸の中」に、喜久井町の由来の話が出てくる。
今私の住んでいる近所に喜久井町(きくいちょう)という町がある。これは私の生れた所だから、ほかの人よりもよく知っている。けれども私が家を出て、方々漂浪(ひょうろう)して帰って来た時には、その喜久井町がだいぶ広がって、いつの間にか根来(ねごろ)の方まで延びていた。
 私に縁故の深いこの町の名は、あまり聞き慣れて育ったせいか、ちっとも私の過去を誘い出す懐(なつ)かしい響を私に与えてくれない。しかし書斎に独(ひと)り坐って、頬杖(ほおづえ)を突いたまま、流れを下る舟のように、心を自由に遊ばせておくと、時々私の聯想(れんそう)が、喜久井町の四字にぱたりと出会ったなり、そこでしばらく徊(ていかい)し始める事がある。
 この町は江戸と云った昔には、多分存在していなかったものらしい。江戸が東京に改まった時か、それともずっと後(のち)になってからか、年代はたしかに分らないが、何でも私の父が拵(こしら)えたものに相違ないのである。
 私の家の定紋(じょうもん)が井桁(いげた)に菊なので、それにちなんだ菊に井戸を使って、喜久井町としたという話は、父自身の口から聴いたのか、または他のものから教(おす)わったのか、何しろ今でもまだ私の耳に残っている。

夏目漱石「硝子戸の中」より

明治の文豪・夏目漱石は、新宿で生まれ新宿でその生涯を終えている。
今年は、夏目漱石生誕140年であり、新宿区としての記念事業を行っている。
http://www.city.shinjuku.tokyo.jp/division/261000bunka/soseki/sosekitoppage.htm

なかなか則天去私の心境にはなれない私はこの後、上野で単身赴任者数名の夕食会に参加する。夏目坂を歩き、都営大江戸線の牛込柳町から上野御徒町までの地下鉄に乗った。

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