陸奥の奥六郡 藤原三代と黄金郷 中尊寺金色堂

北海道から沖縄までが今の日本だが、北海道と沖縄(琉球)が日本となったのも明治維新以降だ。平安時代から鎌倉時代においては、東北地方は蝦夷地エゾチと呼ばれていた。古代に、北関東から東北・北海道にかけて住み、朝廷の支配に抵抗し服属しなかった人々。つまり蝦夷エミシが住んでいた。

大和朝廷の侵略が行われるまでは、東北はもう一つの日本、独立王国であったのだ。

平安初期、桓武天皇の軍事官僚である坂上田村麻呂サカノウエノタムラマロは、征夷(蝦夷を征する)大将軍となって東北を征服した。この新たに加えられた領域を陸奥ムツの奥六郡オクロクグン、出羽デワの山北三郡センボクサングンという。
奥六郡は今の岩手県一帯で、北から岩手、斯波シワ・稗貫ヒエヌキ・和賀ワガ・江刺エサシ・胆沢イサワの六郡である。


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東北は、奈良時代、日本で初めて金が発見された場所であり、また平安時代には馬や毛皮などの珍しいものの産地でもあった。坂上田村麻呂は、801年に敵対する蝦夷を制圧した。802年に胆沢城、803年に志波城を築いている。

その後、東北は動乱の時代となる。この間のいきさつは複雑だ。源氏はいつも陸奥の簒奪を狙っていたが果たせなかった。前九年の役、後三年の役を経て、藤原氏の時代を迎える。
http://www.bashouan.com/ptHujiwara.htm

藤原氏は、金の産地である利点や馬や毛皮などの様々な物資を商いし、海外との交易も行い富裕となっていった。動乱の世から、平安京とは異なったもう一つの日本の平安を願い黄金に包まれた中尊寺の建立を行った。

初代 藤原清衡キヨヒラ 長治2年(1105年)中尊寺一山の造営に着手。
二代 藤原基衡モトヒラ 大伽藍毛越寺を建立。死亡年代は保元2年(1157年)
三代 藤原秀衡ヒデヒラ 源義経を少年時代と都落ちの際の二度にわたり庇護する。
文治3年(1187年)、病で急逝。


中尊寺は、岩手県西磐井郡平泉町にある天台宗東北大本山の寺院。山号は関山カンザン、本尊は阿弥陀如来、開山は慈覚大師円仁。奥州藤原氏三代ゆかりの寺である。

入口にある弁慶の墓、月見坂、弁慶堂、中尊寺本堂を経て中尊寺金色堂があり、その横には経堂がある。

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金色堂は、堂の内外が金箔で覆われていたことによる。昭和37年から修復が行われ、新たに金箔がほどこされ創建当時の輝きが蘇っている。当時はこれをみれば、現実を忘れ別世界にいるような気分になったことだろう。金色堂中央須弥壇シュミダンの下には、奥州藤原氏三代の遺体を収めた棺が安置されている。
http://www.chusonji.or.jp/annai/konjikidoh/index.html

「東方見聞録」は、ヴェネツィア商人であるマルコ・ポーロ(1254 - 1324年)がアジア諸国で見た話をまとめた旅行記である。ヨーロッパに日本のことをジパング(Zipang)の名ではじめて紹介したことでもよく知られている。日本は「黄金の国ジパング」と紹介されているが、マルコ・ポーロは実際に日本には訪れておらず、中国で聞いた噂的な話として収録されている。また、「黄金の国」というのは中尊寺の金色堂についての話を聞いたものといわれている。
中尊寺を建立した奥州藤原氏は十三湊を介した対中国交易を行っていたからだ。

マルコ・ポーロが本当に日本に来ていたのなら、その時既に中尊寺、毛越寺、無量光院といった大寺院は、一部を残して消失していた筈だ。

中尊寺を出て、平泉駅の近くに戻る途中には、無量光院ムリョウコウイン跡がある。三代秀衡が造営した無量光院は宇治平等院の鳳凰堂を模している。平等院よりも大きかったらしいが、現在は池跡・中島・堂礎が残っているだけだ。当時は黄金の光に包まれた壮大な寺院だったそうだ。

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JR平泉駅まで戻り、駅の正面500メートル程、東に行けば毛越寺モウツウジがある。
http://www.motsuji.or.jp/

毛越寺は慈覚大師円仁が開山し、藤原氏二代基衡から三代秀衡の時代に多くの伽藍が造営された。往時には堂塔40僧坊500を数え、中尊寺をしのぐほどの規模と華麗さであったそうだ。

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奥州藤原氏滅亡後、度重なる災禍に遭いすべての建物が焼失しているが、大泉が池を中心とする浄土庭園と平安時代の伽藍遺構がほぼ完全な状態で保存されている。

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池の東北側にある遣水ヤリミズは、池に水を引き入れるために造られたもので、曲がりくねる水路の流れに、水切り、水越し、水分けなどの石組が配されている。この遣水を舞台に毎年新緑の頃に「 曲水ゴクスイの宴」が開催されるそうだ。陸奥の地での平安時代がここにあった。

平泉の駅前

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今日は平泉から東北本線に乗って一ノ関にまで戻る。岩手県一関市の地名は、多分大和朝廷が蝦夷からの攻略を防ぐために第一番目に作った関であるので、一ノ関というのだろう。
ともあれ、3日前にインターネットのサイト、「じゃらんネット」で検索し予約した一泊3500円の@ビジネスホテル一関を探しに行こう。
駅から徒歩10分、近くにコンビニもあり便利と書いてあった。荷物をおろして近くに食事に行こうと思ったが、本当にコンビニしかなく弁当で夕食を済ませた。佐治芳彦の「古代東北王朝と藤原四代の興亡と謎」でも読みながら寝よう。

平家を一ノ谷と壇ノ浦で破った源義経は、その後兄の源頼朝に追撃され、奥州に逃げ込んだ。かくまった藤原四代目藤原泰衡ヤスヒラは、頼朝の圧力に負けて義経を自害に追い込んだのだ。最後に藤原泰衡は、源頼朝に奥州合戦で敗北し、平泉に火が放たれ、三代の栄華は、灰燼に帰した。ここから平安時代から鎌倉幕府。源氏の時代に移っていく。
私も黄金の夢でも見ながらもう寝よう。

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