難波宮と石山本願寺 豊臣秀吉と大阪城

土曜日朝、所要があって、大阪・布施方面にまで行くことになった。用事は朝だけ、ついでに環状線で見えた大阪城に寄っていこう。夕方からは、大阪で昔仕事を一緒にした連中との同窓会がある。

大阪城
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%9D%82%E5%9F%8E
大坂城(大阪城オオサカジョウ)は、摂津国東成郡大坂の地にあった安土桃山時代から江戸時代の城である。

大阪環状線、大阪城公園駅で下車。大阪城ホールを横切り、青屋門から極楽橋を渡って天守閣に向かう。天守閣へ到る途中には、秀頼・淀君自害の地の石碑がある。

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豊臣秀頼ヒデヨリ 1593~1615
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%8A%E8%87%A3%E7%A7%80%E9%A0%BC
淀君との間に生まれた秀吉の第2子。秀吉の死後関が原の合戦で徳川家康に破れたのち、家康の孫・千姫と結婚したが、大阪冬の陣・夏の陣と2度徳川に攻められ大阪城で自殺した。

豊臣秀吉は、下級階層の足軽から関白にまで上り詰めた。関白を引退した人のことを太閤と呼ぶ。戦国一の出世頭とされた。低学歴で首相まで上り詰めたことから「今太閤」と呼ばれた田中角栄も、官僚を上回る知識量と実行力で群を抜いたことから「コンピュータ付きブルドーザー」と呼称されたが、豊臣秀吉も機を見て敏な如才さを持っていたのだろう。

豊臣秀吉は、関白に上り詰めるための運も強かった。けれど、唯一不足していたのが子孫だった。秀頼は、文禄2(1593)年、秀吉57歳のときの子で、大坂城で生まれたとされているが、秀吉の他の大勢の側室に子供ができなかったことから、当時から秀吉の実子ではないのではないかとの噂があったそうだ。

豊臣秀吉は、慶長3(1598)年死去している。その後、慶長5(1600)年に関ヶ原合戦で総大将となった豊臣秀頼は、合戦後、全国に220万石あった所領の内、大名への預け地となっていた分をとられて摂津・河内・和泉65万石まで減らされ、政権後継者から摂河泉の一大名の立場となってしまった。

慶長8年(1603年)、家康は朝廷より征夷大将軍に任じられ、豊臣家と徳川家の確執が起るが、同年には秀頼は秀吉の遺言もあり2代将軍徳川秀忠の娘千姫(家康の孫、母は淀殿の妹・於江与)と結婚し、慶長10年(1605年)右大臣となっている。

大坂冬の陣
徳川家康は、慶長19年(1614年)に起こった方広寺鐘銘事件をきっかけに秀頼と決裂し、大坂冬の陣が勃発する。
冬の陣では、豊臣方、幕府方双方の食料や弾薬が尽き、この時点で家康は和議を提案。秀頼は当初、和議に反対したといわれているが、淀殿の主張などによって和議が実現している。


大坂夏の陣
和議は堀の破却を条件に結ばれた。しかし、翌慶長20年/元和元年(1615年)、大坂方は浪人の総追放や国替えを拒否、堀を掘り返し始めたため、家康は大坂城への侵攻を宣言、大坂夏の陣が起こる。

羽柴家(豊臣宗家)滅亡
豊臣勢を押し返した幕府軍が大坂城内に入城、大坂城内の浪人たちまでが略奪をはじめる。やがて大坂城天守閣が炎上し、秀頼母子は山里丸に逃れるも徳川軍に包囲された。
天守閣炎上の前に、大野治長は千姫をひきわたすことで秀頼の助命を嘆願したといわれているが果たせず、秀頼は母・淀殿や大野治長とともに自害したとされる。享年23。


秀頼・淀君自害の地の石碑のある山里曲輪をこえると大阪城の天守閣がある。

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大阪城 天守閣
http://www.osakacastle.net/
入館料600円を自動券売機で買って中に入る。5階までのエレベータに乗り、8階の展望台から順次下の階に下りていく。7階には、からくり太閤記の小さなスクリーンが進行順路に沿って埋め込まれている。ジオラマで秀吉の生涯を流していた。

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天守閣から降りて、桜門から城の外へ出ると右手に石山本願寺推定地の碑がある。ここはもともと大阪石山本願寺の跡地に豊臣秀吉が築城した場所だったのだ。しかし現在残る石垣等はその後の徳川時代の物で、明治以後は陸軍用地として使用され、昭和に入って天守閣が博物館として再建。戦後、史跡公園として整備されたそうだ。

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天守閣の前に置かれていた号砲は、明治時代に陸軍用地として使用されていた時のものかもしれない。

桜門からまっすぐ南には、豊国神社がある。出世開運の神で、枯山水の秀石庭があり、結婚式場も完備されている。豊臣秀吉もいた。

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豊臣秀吉
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%8A%E8%87%A3%E7%A7%80%E5%90%89
井沢元彦の逆説の日本史「戦国乱世編」によると、あまり知られていないが、豊臣秀吉の右手の指は六本あり、先天的な多指症だったそうだ。
織田信長が秀吉のことを「六つめが・・・」とよんでいたこと。ルイス・フロイスの「日本史」にその記述があることなどから歴史上の事実とされている。思わず銅像の右手を見てしまった。

ここまで来れば、ついでに難波宮ナニワノミヤも行ってみよう。大手門から外堀に出て、NHK大阪・大阪歴史博物館のある一角を越え、阪神高速道路東大阪線のすぐ南側にある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%A3%E6%B3%A2%E5%AE%AE

難波宮ナニワノミヤは、現在の大阪市中央区にあった飛鳥時代・奈良時代の宮殿だ。それまで史書には載っていたが、所在地は不明だった。でも行ってみるとただの広い公園、何も無い。

せっかくなので、大阪歴史博物館ものぞいて見よう。博物館の前には古墳時代の法円坂遺跡があり、高床式倉庫が復元されている。この高床倉庫は、法円坂遺跡で見つかった5世紀(古墳時代)の巨大高床倉庫群のうち1棟を復元したものだそうだ。歴史博物館の前には入口には、難波宮を再現した場所があると書いてあった。

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東京にも大東京の時代があったように、大阪にも大大阪と呼ばれる時があったのだ。各時代の街並みが再現されている。原寸大の難波宮大極殿もあった。

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難波宮の遺跡は周辺にも及んでおり、このNHK大阪・大阪歴史博物館のある一角も難波宮の跡となっている。大阪歴史博物館から見た難波宮跡地。

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歴史博物館を出て、大阪城の外堀まで上町筋を北に上がると、大手門の前には、大阪府庁がある。明日は大阪府庁選挙がある。

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大川を天満橋で渡り、天満から南森町の方へ歩くと大阪天満宮がある。

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天満天神の横には、大阪の噺家にとって、長年の悲願だった天満天神繁昌亭がある。2006年9月15日開席。
天満天神繁昌亭は、関西では戦後60年目に復活した落語専門の寄席だ。
http://www.hanjotei.jp/
〒530-0041 大阪市北区天神橋2-1-34
寺社と寄席は縁が深い、用地は大阪天満宮の宮司の好意により、無料で提供されたそうだ。

南森町から天神橋筋を通り、扇町から太夫寺方面へ。

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もう梅田の近くだ。待ち合わせをしているのは梅田地下街の曽根崎警察の下。そこで二人と合流。その後、集合場所の東通り商店街の居酒屋に直行した。梅田の町並みは久しぶりだ。あまりに懐かしくキョロキョロしてしまった。

大手製薬メーカーを定年退職し悠々自適の人。北野坂に勤務している先輩。早期退職し今はビルの管理をしているという先輩。京都まで2時間かけて通勤している先輩。兵庫県の豊岡、静岡の沼津に単身赴任している後輩。東大阪で10年以上になるという後輩。今日の幹事は平和島に勤務している態度は先輩の後輩だ。でも感謝 !!
大阪の茨木支店で一緒に仕事をした仲間たちだ。酒に酔って思い出すのは、あの時あったこんな話。みんなが異口同音に、仕事で一番記憶に残っている時期であったということだ。

歴史に「もし」はないと言われるが、もし秀吉が朝鮮出兵をしていなければ、もし、子宝にめぐまれていたら。もし、関が原で負けなければ、今の大阪はもっと変わっていたかも知れない。
翌日、大阪府知事選挙が行われた。木下ではなく、橋下弁護士が当選した。

大阪知事に橋下氏 38歳、現職で最年少 民主敗れる。
2008年01月28日00時52分 asahi.com
大阪府知事選は27日投開票され、自民党府連推薦、公明党府本部支持のタレントで弁護士の橋下徹氏(38)が、民主、社民、国民新の3党推薦の元大阪大大学院教授の熊谷貞俊氏(63)、共産党推薦、新社会党支持の弁護士の梅田章二氏(57)らを破り、初当選した。38歳での知事就任は現職では全国最年少。


大阪は変わるのだろうか。

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この記事へのコメント

豊岡人
2008年02月05日 01:16
メールありがとうございました。
さっそく遊びにに来ました。なかなか凝ったブログですね。
またゆっくり記事を読ませていただきますね。
取り急ぎお礼まで♪
河内カルメン
2008年02月06日 21:25
関西のランボーさん、ムンク展も見てね。
「高円寺純情商店街」
「十三東通り商店街」
「芦屋三八商店街」を行くの記も拝読希望。
キングマンボ
2012年08月13日 16:53
素敵なページに感謝いたします
これからもどしどし投稿していってくださいね
キングマンボ
2012年08月13日 16:53
素敵なページに感謝いたします
これからもどしどし投稿していってくださいね

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