いざ鎌倉へ 源氏と北条氏と鶴岡八幡宮

鶴岡八幡宮は、源頼朝が武家政権を開くにあたって、壮麗に社殿を営んだ、幕府の中央神殿ともいうべき建物だ。しかし、八幡宮は「応神オウジン天皇」のこととされている。天皇家と公家の政治、律令制に反旗をひるがえした幕府が、なぜ八幡宮を祀っているのか。そんなことを思いながら、いざ鎌倉を歩いてみよう。

鎌倉までは、約1時間。早めに部屋を出て、東京駅で東海道本線快速アクティー(熱海行)に乗る。大船で横須賀線(横須賀行)に乗り換え、約3分程度で北鎌倉に着く。東京に来た年に一度、行ったことがあるコースだ。

北鎌倉駅から、すぐの場所に円覚寺エンガクジがある。ここは北条時宗の御陵所となっている。

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円覚寺 臨済宗
http://www.engakuji.or.jp/contents/about.html
1282年(弘安5年)、鎌倉時代後半北条時宗が中国より無学祖元禅師を招いて創建された。時宗は18歳で執権職につき、不安な武家政治の中で心の支えとして、禅宗に帰依していた。時宗公は禅を弘めたいという願いと蒙古襲来による殉死者を、弔うために円覚寺建立を発願された。
と書いてある。

元寇
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E5%AF%87
今から700年前、日本は存亡の瀬戸際まで追いつめられた。蒙古襲来。世に言う元寇だ。ユーラシア大陸のほぼ全土を手中にしたモンゴル大帝国が、実に14万を越える軍団を4千艘ソウの船に乗せ、2度に渡り日本に襲いかかった。迎え撃つ日本の侍は4万のみ。圧倒的な戦力差に、日本の命運をかけて立ち向かったのが北条時宗だ。
文永の役(1274年)と弘安の役(1281年)に蒙古は日本に襲来した。しかし、いずれも港をうめつくしていた敵の船は暴風雨にあってほぼ全滅した。日本を神風が守ったのだ。時の権力者は、信心こそ日本を救ったと考えたに違いない。

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鎌倉時代は、法然、親鸞、一遍、道元、日蓮といった鎌倉新仏教の担い手によって、仏教が民間にまで布教された時代となっている。禅宗の最高峰を極めた臨済宗は、宋時代の中国に渡り学んだ栄西らによって、鎌倉時代に日本に伝えられている。鎌倉仏教はまた別に整理しよう。

円覚寺から、少し南に行くと明月院がある。北条時頼の建てた最明寺跡に、子の時宗が禅興寺を建立した場所だそうだ。夏になればアジサイが咲き誇りアジサイ寺とも呼ばれるそうだ。
アジサイはまだ咲いていなかったけれど、鎌倉石の参道は風情がある。

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須弥山シュミセンをかたどり仏教観を表現しているという枯山水の庭園の前には、方丈と書かれた本堂がある。

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日本の臨済宗は、日本の禅の宗派のひとつである。師から弟子への悟りの伝達を重んじる。同じ禅宗の曹洞宗が地方豪族や一般民衆に広まったのに対し、臨済宗は時の武家政権に支持され、政治・文化に重んじられたそうだ。この明月院も臨済宗の一派だ。

小町通りに通じるなだらかな坂道を下っていくと建長寺がある。
山号を巨福山コフクサンと称し、寺号は建長興国禅寺ケンチョウコウコクゼンジという。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BB%BA%E9%95%B7%E5%AF%BA
建長寺は鎌倉幕府5代執権北条時頼(1227-1263)によって創建された禅宗寺院だ。
時頼は熱心な仏教信者であり禅宗に深く帰依していた。建長寺の創建は、北条氏の権勢を誇示し、海外渡来の最新文化であった「禅」の寺を建てることによって、京都の公家文化に対抗したのである。すぐ横には鎌倉学園がある。サザン・オールスターズの桑田佳祐の出身校であると鎌倉に住んでいる人から聞いたことがある。

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本尊は地蔵菩薩となっている。法堂の中には、釈迦苦行像が置かれている。さすが禅寺だ。苦行のため、痩せてあばら骨だけになっても修行を続けている。方丈殿の後ろには、日本最古の禅庭園がある。

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さらに南へ進むと、鶴岡八幡宮の裏手に出る。八幡宮に西側から入ると丸山稲荷社があり、すぐに本宮となる。
http://www.hachimangu.or.jp/about/history/index.html
鶴岡八幡宮のご由緒によれば、当宮は康平6年(1063)源頼義ヨリヨシ公が奥州を平定して鎌倉に帰り、源氏の氏神として出陣に際してご加護を祈願した京都の石清水八幡宮を由比ヶ浜辺にお祀りしたのが始まりとされている。
その後、源氏再興の旗上げをした源頼朝ヨリトモ公は、治承4年(1180)鎌倉に入るや直ちに神意を伺って由比ヶ浜辺の八幡宮を現在の地にお遷しし、 建久2年(1191)には鎌倉幕府の宗社にふさわしく上下両宮の現在の姿に整え、鎌倉の町づくりの中心としたそうだ。

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境内にある白旗神社には、源頼朝公、実朝公がお祀りされている。

豊臣秀吉は、小田原攻め(1590年)の後に、この白旗神社に参拝した。その時に、祀られていた頼朝像を見て、
「卑賤の身から天下をとったのは、貴公とわしの二人しかいない。しかし貴公はもともと源氏の貴公子で、それに引きかえわしは土民の出にしかすぎない。したがってわしのほうが天下人として数段上だ」
と言ったという話が、「太閤記」にのっている。
しかし、源頼朝の出発点は秀吉以下だったと、逆説の日本史で井沢元彦は書いている。
頼朝が天下をとったのは、偶然の重なりで奇跡に近かったとしている。

源頼朝は、少年時代から青年期にまで罪人で、終身刑で服役中の囚人であった。
父の義朝ヨシトモがライバルの平清盛に敗れ、第一次源平抗争が源氏側の完敗となったからだ。
平治の乱1159年、平氏を追放しようとしたが失敗し、東国に逃げていく途中殺され、息子の頼朝は捕らえられた。
戦犯の子供は必ず皆殺しにされるが、源頼朝は伊豆への流罪ですまされた。
平清盛の継母(父の後妻)である池禅尼イケノゼンニという女性が、死んだ息子に似ているという理由で、強引に頼朝の処刑に反対をしたからだ。
流罪先の近くに北条時政を頭とする北条一族がおり、北条時政の娘と相思相愛となった。
その女性が、後の尼将軍「北条政子」である。天下の大罪人が北条家の娘婿になったのだ。
中央政権で平家の専横に対する不満が高まり、皇族の一人である以仁王モチヒトオウに平家打倒の令旨を出させた。
全国の源氏が立ち上がり、平家と戦ったが頼朝は石橋山では惨敗している。その後、関東の豪族たちが源氏側に参じたため、かろうじて関東を制圧することができた。
頼朝のもとへ弟の義経が現れ、連戦連勝をすることができた。
平家はもともと西国を拠点としていた。頼朝が東国を押えても簡単には滅ぼされないはずであった。しかし戦術にたけた義経が参戦することで、平家は壇ノ浦にまで追い詰められてしまう。

歴史は皮肉だ。平清盛が温情で流罪にした源頼朝に滅ぼされる。さらに義経は頼朝に最終的には追い詰められ命を絶たれる。頼朝が平氏を倒したのは、窮鼠猫を噛むという状態で、奇跡的にもそれに成功したのだ。

鶴岡八幡宮を歩いているとリスがいた。リスは、ネズミ目リス科に属する動物の総称だ。旗上弁財天社の前の源平池には、沢山の鳥が飛んでいた。鶴岡八幡宮を包む豊かな自然がある。

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幕府とは、本来は将軍の駐留する前進基地という意味だ。征夷大将軍が武士の棟梁となり、この国の政治を実際に動かしていく機構という意味に、頼朝はメヂカラで変えた。
しかし、源氏は頼朝、頼家ヨリイエ、実朝サネトモの三代で滅びる。

頼朝の墓所は鎌倉市の大倉山中腹にある白旗神社の石段を上がった場所に、質素な石層塔が残っている。鶴岡八幡宮から約10分程度の場所だ。

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死因を伝える史料は、相模川橋供養の帰路に病を患った事までは一致しているが、その原因は定まっていない。吾妻鏡では「落馬」としている。また、暗殺説もある。頼朝は子の源頼家や実朝と同じく何者かに暗殺されており、その事実を隠すべく吾妻鏡への記載を避けたとする説だ。なんだか、これが一番もっともらしいと思われる。

太宰治の「右大臣実朝」は吾妻鏡からの太宰の創作だ。青空文庫にも登録されている。
歌人としての実朝の、次の台詞が印象的だった。
アカルサハ、ホロビノ姿デアラウカ。人モ家モ、暗イウチハマダ滅亡セヌ。

源実朝
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E5%AE%9F%E6%9C%9D
建保7年(1219年)1月27日、雪が二尺ほど積もる八幡宮拝賀の日を迎える。御所を発し八幡宮の楼門に至ると、北条義時は体調の不良を訴え、太刀持ちを源仲章に譲る。夜になり神拝を終え退出の最中、「親の敵はかく討つ」と叫ぶ公暁に襲われ落命した。享年28(26歳没)。
落命の場は八幡宮の石段とも石橋ともいわれ、大銀杏に公暁が隠れていたとも伝わるそうだ。源頼朝が政治の舞台として用意した鶴岡八幡宮。その石段で三代目の実朝は落命する。源氏の正統は断絶してしまう。

この暗殺についても諸説ある。ただ、この事件で一番の利益を得たのは北条氏である。源頼朝の死後、将軍の補佐する制度として北条家による執政制度も創設された。たとえ頼朝の血統が絶えても鎌倉幕府体制は永続し、それから100年も命脈を保ったのだ。

ここから、日蓮上人の辻説法跡を探しに行った。

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