空虚な中心 東京の真ん中にある皇居 後醐醍天皇と悪党楠木正成

奈良や近江や京都にあったこれまでの皇居は、中国の王城を模して、平地の開かれた場所に、威風堂々とつくられていた。皇帝のすまいであり政治のおこなわれる場所である王城は、都市の理想をあらわしていた。

王城は、森の中ではなく、文明のおこなわれる平地につくられた。中国の皇帝は、天帝から認められて王権をふるうことができる。皇帝にふさわしい場所は、平地に聞かれた壮麗な建物である筈だ。
ところがわが天皇の権威は、いと高き天の観念に支えられているのではなく、神話に支えられている。神話はこの現実の空間や時間に属さない、特別な時空間のことを語る。

アースダイバー「森番の天皇 皇居」より。

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皇居の周りを一周すると再び、皇居前広場の皇居外苑地区にでる。皇居の入口だ。しかし、そこには楠木正成クスノキマサシゲの像が置かれている。なぜ皇居の入口にその碑があるのか。これも一つの神話の表現なのだ。

楠木正成は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将だ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%A0%E6%9C%A8%E6%AD%A3%E6%88%90
誰でもが知っている名前のわりには、その実態はよくわからない。神戸市にある湊川神社では、河内国赤坂村(現大阪府南河内郡千早赤阪村)の出生とされているが、生年に関しての確実な史料もなく、正成の前半生はほとんど不明だそうだ。日本史上きわめて有名でありながら出自がこれほど謎に包まれた人物はほかにいない。正成が確かな実像として捉えられるのは、元弘元(1330)年の挙兵から建武3(1336)年の湊川での自刃までのわずか6年ほどに過ぎないそうだ。

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元弘元年(1331年)の史料では、楠木正成は、「悪党楠木兵衛尉」として名を残している。鎌倉幕府の御家人帳にない河内を中心に付近一帯の流通ルートで活動する「悪党」とよばれる在地の豪族であったそうだ。

悪党アクトウとは、一般的に社会の秩序を乱す者ないし悪事をなす集団などを意味する用語だが、日本の歴史においては中世に既存支配体系へ対抗した者・階層が悪党と呼ばれている。

その楠木正成が、皇居の入口に守り神のように鎮座している。

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その秘密は建武ケンムの新政シンセイにあった。建武の新政とは、鎌倉幕府滅亡後の年 元弘3(1333)年に後醍醐天皇が「親政」(天皇がみずから行う政治)を開始した事により成立した政権及びその新政策だ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BB%BA%E6%AD%A6%E3%81%AE%E6%96%B0%E6%94%BF

悪党的武士であった楠木氏は、農耕地とそこに生きる農民の支配者として勢力をたくわえた関東の武士団とは、まったくタイプが異なっていた。鎌倉幕府に集まるような土地制度をベースにした武士とは、根本的なちがいがあった。西国の悪党的武士団は、潜在的な反鎌倉、反中世的な感情を持っていたのだ。悪党とは英語でピカレスクPicaresqueである。太宰治の半生を描いた映画のタイトルにもなった。

蝦夷や海賊的活動を行う海民なども悪党と呼ばれたが、これは支配体系外部の人々を悪党とみなす観念に基づいている。諸国を旅する芸能民や遊行僧などが悪党的性格を持つとされていたのも同様の理由からだと考えられている。蝦夷、海民、芸能民、遊行僧らはいずれも荘園公領制的な支配体系の外部に生きる漂泊的な人々であり、支配外部にいることを示す奇抜な服装、すなわち異形の者が多かった。網野善彦は、これらの「悪党」が13世紀半ばから急速な成長を見せた流通経済・資本経済の担い手であり、中世社会の新たな段階を切り開いた主体の一つと説いている。

網野アミノ善彦ヨシヒコは、日本中世史専攻の歴史学者だ。中沢新一のおじさんにあたる。

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後醍醐天皇は、鎌倉幕府によって武士に政権を奪われた。これを天皇中心の祭りごとに変えようと、倒幕の機会を狙っていたのだ。天皇親政によって朝廷の政治を復権しようとした。最終的には、再び武士層を中心とする不満を招き、1336年(建武3年)に河内源氏の有力者であった足利尊氏が離反したことにより、政権は崩壊してしまっている。

昔、ロックバンドのゴダイゴが、西遊記のテーマ曲として「ガンダーラ」という曲を歌っていた。

そこに行けばどんな夢も
かなうと言うよ
誰もみな行きたがるが
遙かな世界
その国の名はガンダーラ
何処かにあるユートピア
どうしたら行けるのだろう
教えて欲しい


後醍醐天皇もその夢を見ていたのだ。
これを歌ったタケカワユキヒデはそれを知っていたのだろうか。

楠木正成と後醍醐天皇の結びつきは、真言密教の僧である文観と言われている。悪党である楠木正成らの活躍に触発されて各地に鎌倉幕府、倒幕の機運が広がり、足利尊氏や新田義貞、赤松円心らが挙兵して鎌倉幕府は滅びた。元弘ゲンコウの乱1331年後、後醍醐天皇が京へ凱旋する際、楠木正成は、兵庫まで出迎え、警護についている。

後醍醐天皇を中心とする勢力は、鎌倉の「武家政権」を打倒するクーデタに成功した。後醍醐天皇は、古代天皇制の復活を唱えた。

まだその生命力を十分に残しつつ鎌倉幕府-東の王権が滅び、これを打倒して最高度に専制的な王権を出現させた後醍醐天皇も、わずか3年で没落する。日本列島主要部の社会をともあれ統合してきた東西の王権、権威が二つながら一挙に瓦解したのである。
「異形の王権」平凡社ライブラリー 網野善彦より

鎌倉幕府は倒れ、建武の新政も3年で終焉し、その後室町時代から南北朝の時代へと移っていく。天皇の権威はこの動乱を通じて著しく低落し、その実質的な権力もほとんど失われることとなった。後醍醐天皇を象徴として起こったこの「建武の新政」は、日本の古代的な権威の秩序が本格的な崩壊過程に入っていったきっかけになったといえる。古代と近世との境目になったとも考えられる。

古代とは、天皇家とそれをとりまく貴族官僚とが作り上げた「王朝的権力構造」であり、近世とは、貨幣を中心とした均質的な空間の日本となる時代だ。

明治維新によって、森の番人となった象徴天皇は、空虚な中心に、この神話の楠木正成に守られているのだ。

都市のど真ん中に「空虚な中心」があるのはすばらしい。アメリカ同時多発テロ事件は、2001年9月11日、ニューヨークのツインタワービルで起こった。ツインタワービルの跡地については、ニューヨーク市が住宅・商業施設の再建を行っている。跡地はからっぽの空間にできなかった。しかし東京にはそれがある。

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