空虚な中心 江戸の王権 江戸城跡

江戸の名は「入江の門戸」を意味し、昔は片田舎の漁村にすぎなかった。現在の日比谷公園から大手門辺りまで入江が迫っていたのだ。
平安末期の12世紀初め、この天然の要害の台地に居館を楕えたのが、江戸四郎重継シゲツグとその子太郎重長シゲナガであり、長禄元年(1457)上杉氏の家宰太田道灌ドウカンが、近世城郭の嘴矢コウシとなる江戸城を築いてから城下町が発達した。

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皇居案内図
http://www.kunaicho.go.jp/07/d07-01gr-01.html

天正18年(1590)豊臣秀吉の命で、三河の徳川家康が江戸城に入った。このときの城は「かたちばかりにて、城の様もこれなく」という状態で、以後家康は城の整備と城下町の経営に力を注ぎ、江戸幕府開設後の寛永年間(1624~44)、3代将軍家光のときに江戸城郭のほぼすべてが完成している。
東京文化財の旅 毎日新聞社より

国立劇場のすぐ近くには、半蔵門がある。

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服部半蔵は、初陣で伊賀の忍者数十人を連れ、敵の城を陥とし「服部半蔵は鬼半蔵」と謳われた豪の者だ。以降、家康直属の隠密部隊として、戦国の世に活躍している。
家康の江戸入府とともに、伊賀組の与力30騎、同心200人を与えられ、現在の麹町半蔵門に住み、門の警備とお庭番(忍者)の仕事をしたそうだ。

皇居の周りを歩き、東京都千代田区九段南2まで来ると、ここはアベックの花見名所、千鳥ヶ淵がある。桜はまだ早いがボートに乗るアベックには、そこが戦没者墓苑の近くであることは関係がない。

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九段坂近くは、靖国神社があるところだ。九段下には築土ツクド神社がある。ここの祭神は平将門だ。築土神社は中坂の途中にあり、江戸三社のひとつである古い神社となっている。
http://takeone0124.at.webry.info/200708/article_4.html

築土ツクド神社に行く手前を右に曲がれば、田安門がある。田安門も国の重要文化財で、門扉釣具に「寛永十三丙子暦九月吉日」の銘がある。門内の西側に、8代将軍吉宗の次男宗武を始祖とする御三郷の円安家があり、門の名前の由来となったそうだ。門の上には八角屋根の日本武道館がのぞいている。そこを通れば北の丸公園となる。

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清水門には、沢山のユリカモメが飛来している。

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清水濠を通れば、竹橋がある。

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竹橋から梅林坂を登れば、天守閣跡に着く。

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江戸城はその後、明暦の大火(1657)、元禄・安政の大地震(1703/1855)などでたびたび被害をうけ、そのつど修復されたが、明暦の大火で焼け落ちた天守閣はついに再建されなかった。

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天守閣を背にしばらく歩くと、元禄14年(1701)播州赤穂の城主、浅野内匠頭が吉良上野介に切りかかり、大石内蔵助ら四十七士の仇討ちとなった時代劇『忠臣蔵』の舞台である刃傷松の廊下跡がある。ここは壮大な江戸城の一角であった。そして明治時代以降は天皇の住む場所となった皇居であるのだ。

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江戸という名前の起源については諸説がある。現在定説となりつつあるのは「江」というのは、大きな川を意味し、「戸」は出口あるいは湊を意味するという説だ。つまり、江戸とは隅田川下流の、海への出口周辺にできた村または湊という意味になる。
太田道濯が「わが庵は松原続き海近く、富士の高嶺を軒端にぞ見る」と詠んだように、江戸城は紺碧の海に面し、絶景の地に築かれた、美しいお城であり、江戸の町民はすべてどこからでもこの江戸城がそびえたっているのを見た筈だ。

現在の皇居は、東西1.5kmに、南北2kmの、都会にある世界最大面積の緑のお城だ。空から見ればまるで、東京の真ん中にある巨大な緑のオアシスのように見えるのだろう。

皇居周辺の地名は江戸城に由来している。赤坂見附、四谷見附などの「見附」という名称は、かつての江戸城の三十六見附からきているそうだ。「見附」とは「人の出入りを見張る」門のことで、江戸城の周りには、浜御殿 - 新橋 - 溜池 - 赤坂見附 - 四谷 - 市ケ谷 - お茶の水 - 神田 - 浅草と外濠が連続して掘られ、要所々々に城門をつくり、見張りを配置した。こうした場所が「見附」とよばれるようになったそうだ。

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左側にある建物が大番所だ。ここは、本丸の玄関が目と鼻の先なので、比較的身分の高い同心や与力が警護を担当し万全を期した。ここで、すべての登城者は刀を預け、殿中に入った。中の門跡の前には百人番所がある。鉄砲百人組とよばれる、甲賀衆、伊賀衆、根来衆、二十五騎組の同心百人が、昼夜交代で詰め、警戒の目を光らせていた。

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さらに下ると大手門がある。皇居東御苑(江戸城の本丸、二の丸、三の丸跡)の東に位置する江戸城の正門だ。正門を出たところには旧渡櫓ワタリヤグラ屋根の鯱シャチホコが置かれている。明暦の大火で残ったものであるそうだ。

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江戸城から皇居に至る象徴は、すぐ近くにある。

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