空虚な中心 東京の真ん中 太田道灌から徳川家康

「いかにもこの都市は中心をもっている。だが、その中心は空虚である。」
この言葉は、フランスの哲学者ロラン・バルトが独自の日本論を記した「表徴ヒョウチョウの帝国」にあり、1970年に発表されている。

「表徴の帝国」(『記号の国』)によれば、西洋が「意味の帝国」であるのに対し、日本は「表徴(記号)の帝国」であり、ヨーロッパの精神世界が記号を意味で満たそうとするのに対し、日本では意味の欠如を伴う、あるいは意味で満たすことを拒否する記号が存在する。その記号は、意味から切り離されることにより、独自の輝きを持つものとなると記されている。

東京のど真ん中にある江戸城跡の皇居はまさしく空虚だ。最後は、必ずここを訪れることを来た時から決めていた。今日は、皇居の周りを歩いてみよう。

 太田道濯が江戸城を築城した当時、その城は、関東に広がる巨大な洪積台地が海に向かって突き出した「ミサキ」の場所に建てられていた。その城はまだ小さなものだったが、眼前に広がる雄大な江戸前の海水は、城の足許をたえず洗っていて、自分の立っているのが、ミサキの境界地帯だとすぐにわかった。中世の城は、よくそういう場所に建てられたのである。
 ところが徳川氏が太田道濯の城のあった場所を居城にしたとき、まっさきに考えたことは、もう中世じゃないんだから、いつまでも城をミサキのような境界領域に建てるのはやめにして、城というものを都市のエッセンスを象徴する場所に改めようではないか、という近代的な思いつきだった。そのためには、自分の立っている場所がミサキでなくなればいい。こうして、今日の銀座や新橋の基礎をなす、江戸前の海の大規模な埋め立て計画が、進行していった。
 ところが、近代天皇の御代になって、江戸城はふたたび森に戻されてしまった。たしかにそこはもう海水の寄せるミサキの境界領域ではなくなって、大都市東京のむしろ中心部にあった。しかし、この新しい皇居は都市の中心部にありながら、その内部に都市性の原理は及んでこないようにつくられた。皇居は都市性のエッセンスをあらわす場所ではなく、めまぐるしく展開していく都市の外にある、不思議な静けさをたたえた自然の森に、変貌をとげてしまったのだ。
 中心がそのまま境界である、という不思議な空間が、こうして東京のど真ん中に出現することになった。

アースダイバー 中沢新一 象徴の森 皇居より

いつも通勤では、東京駅 八重洲南口で改札を出るが、今日は反対側の丸ノ内中央口で改札を出る。

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ここから行幸ギョウコウ通りを皇居へ向かうと和田倉門跡があり、和田倉噴水公園がある。この噴水は、昭和36年に皇太子(現天皇)の結婚を記念して造成されたものだそうだ。

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桔梗キキョウ濠に美しい姿を映す桜田二重櫓ヤグラは、城あとに残る唯一の隅櫓で、三の丸の巽タツミ(南東)にあるため、巽櫓ともいう。その西の門が三の丸に入る桔梗門(内桜田門)だ。

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二重橋濠の東側一帯は、広い範囲にわたって芝生に松が林立する皇居前広場。まさにここは、空虚な中心となっている。皇居前広場で玉音放送を聞いているモンペ姿の映像は、何度か見たことがある。白黒だった。

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やがて見える西の丸大手門が皇居正門で、前の石橋は西の丸大手橋、奥の鉄橋は西の丸下乗ゲジョウ橋というそうだ。奥の鉄橋を二重橋というのは、かつて橋脚が二重に組まれていたためだそうである。橋の西側奥の石垣上には西の丸書院二重櫓が見える。京都の伏見城から移築したと伝える美しい姿で、伏見櫓とも呼ばれている。

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桜田門に至る螺旋濠から日比谷濠に向かうと有楽町のビルが見える。

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ここからさらに南の桜田門は、完全な桝形マスガタが残っている。
寛文3年(1663)の修築といい、国の重要文化財だそうだ。安政7年(1860)大老井伊直弼は、この門外で水戸浪士らに暗殺されたのだ。
桜田門外の変
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%9C%E7%94%B0%E9%96%80%E5%A4%96%E3%81%AE%E5%A4%89

単純に言えば、グローバリズムに目覚めた井伊直弼が、旧保守派の水戸藩に暗殺された事件だ。それを機に一気に、明治維新に突入していく。
雪の降りしきる万延元年(1860)3月、大老・井伊直弼は「桜田門外の変」で暗殺された。登城しようと屋敷から出て桜田門外の堀端で、水戸浪士らによる襲撃にあったのだ。現在は警視庁前になっている。再び、水戸浪人が暴れないように見張っているのだ。

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今は、桜田門の前に法務省旧本館があり、その前に国家を守る警視庁がある。すぐ横には霞ヶ関があり国会議事堂がある。それはそれで皮肉なことだ。

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国会議事堂の周りを歩いていると、国会前庭洋式庭園がある。園内には全国の土地の標高を決める日本水準原点があり、小さいけれどローマ神殿風の建物があった。梅も綺麗に咲いている。

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このすぐ北側には、最高裁判所がある。クーデターの判断にはやはり最高裁判所が必要なのだ。

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皇居の中心を三分の一まわるだけで、司法、立法、行政府がある

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憲政記念館の近くには、国立劇場まである。そこで行われているのは歌舞伎だ。今は、歌舞伎はあたかも芸術のように言われているが、当時は単に芸能。つまり傾いている、カタヨッテイル、カタブいている。つまり世人とは離れた俗物見世物であったはずだ。でも今は国立劇場で演じられている。
これから後は、この次にしよう。

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