Take The A Trainは、ご存知Duke Ellingtonの名曲だ。エリントン楽団のテーマソングである。この曲は都会的で、粋にスウィングする。盟友のカウント・ベイシーも好んで演奏しているし、いろんなミュージシャンが演奏している。私のI-podにも10曲以上が入っている。
エリントンは、高度な西洋音楽の楽理をジャズに持ち…
東京には23区がある。23区を正式に列記する場合は千代田区を最初として、中央区、港区、新宿区・・というように順番が定められているそうだ。
明治22年、市制町村制の施行によって、15区の範囲に基礎的自治団体としての東京市が設置され、区はその下部組織として存続した。旧15区時代には、時計回りに「の」の字を書くように区の順番が定められて…
元禄 7年(1694)頃、中国の心越禅師シンエツゼンシが、能見堂からの勝景を故国の瀟湘八景ショウショウハッケイに当てはめ、金沢八景詩を詠んだ。これが基となって金沢八景の名が成立したのだそうだ。
今日は、夕方大阪で一緒に仕事をした人物のお宅におじゃますることとなった。その人物は横浜から二つ目の駅近くに住んでいる。午前中、ついでに…
奈良や近江や京都にあったこれまでの皇居は、中国の王城を模して、平地の開かれた場所に、威風堂々とつくられていた。皇帝のすまいであり政治のおこなわれる場所である王城は、都市の理想をあらわしていた。
王城は、森の中ではなく、文明のおこなわれる平地につくられた。中国の皇帝は、天帝から認められて王権をふるうことができる。皇帝にふさわしい場所…
江戸の名は「入江の門戸」を意味し、昔は片田舎の漁村にすぎなかった。現在の日比谷公園から大手門辺りまで入江が迫っていたのだ。
平安末期の12世紀初め、この天然の要害の台地に居館を楕えたのが、江戸四郎重継シゲツグとその子太郎重長シゲナガであり、長禄元年(1457)上杉氏の家宰太田道灌ドウカンが、近世城郭の嘴矢コウシとなる江戸城を…
「いかにもこの都市は中心をもっている。だが、その中心は空虚である。」
この言葉は、フランスの哲学者ロラン・バルトが独自の日本論を記した「表徴ヒョウチョウの帝国」にあり、1970年に発表されている。
「表徴の帝国」(『記号の国』)によれば、西洋が「意味の帝国」であるのに対し、日本は「表徴(記号)の帝国」であり、ヨーロッパの精神世界…
平安仏教が貴族仏教であったのにたいして、鎌倉新仏教はあらたに台頭してきた武士階級や一般庶民へと広がっていったそうだ。小町通りに向かう道を鶴岡八幡宮に向けて歩いていると、八幡宮の手前に曹洞宗高祖道元禅師鎌倉御行化ゴギョウケ顕彰碑がたてられている。
道元の鎌倉御行化ゴギョウケとは、
越前福井の永平寺を開き、弟子たちの指導に専…
鶴岡八幡宮は、源頼朝が武家政権を開くにあたって、壮麗に社殿を営んだ、幕府の中央神殿ともいうべき建物だ。しかし、八幡宮は「応神オウジン天皇」のこととされている。天皇家と公家の政治、律令制に反旗をひるがえした幕府が、なぜ八幡宮を祀っているのか。そんなことを思いながら、いざ鎌倉を歩いてみよう。
鎌倉までは、約1時間。早めに部屋を出て、…