空虚な中心 東京の真ん中にある皇居 後醐醍天皇と悪党楠木正成

奈良や近江や京都にあったこれまでの皇居は、中国の王城を模して、平地の開かれた場所に、威風堂々とつくられていた。皇帝のすまいであり政治のおこなわれる場所である王城は、都市の理想をあらわしていた。 王城は、森の中ではなく、文明のおこなわれる平地につくられた。中国の皇帝は、天帝から認められて王権をふるうことができる。皇帝にふさわしい場所…
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空虚な中心 江戸の王権 江戸城跡

江戸の名は「入江の門戸」を意味し、昔は片田舎の漁村にすぎなかった。現在の日比谷公園から大手門辺りまで入江が迫っていたのだ。 平安末期の12世紀初め、この天然の要害の台地に居館を楕えたのが、江戸四郎重継シゲツグとその子太郎重長シゲナガであり、長禄元年(1457)上杉氏の家宰太田道灌ドウカンが、近世城郭の嘴矢コウシとなる江戸城を…
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空虚な中心 東京の真ん中 太田道灌から徳川家康

「いかにもこの都市は中心をもっている。だが、その中心は空虚である。」 この言葉は、フランスの哲学者ロラン・バルトが独自の日本論を記した「表徴ヒョウチョウの帝国」にあり、1970年に発表されている。 「表徴の帝国」(『記号の国』)によれば、西洋が「意味の帝国」であるのに対し、日本は「表徴(記号)の帝国」であり、ヨーロッパの精神世界…
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