佃島と石川島 江戸の路地は大阪西淀の人間が作った

相生橋を渡れば、そこは佃だ。長屋風の家々が細い路地に並んでいる。

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しばらくすれば、肉のたかさごの大きな看板が目に入る。佃名物が焼き豚であることは知らなかった。小腹がすいてきたので、一番小さい焼き豚のパックと蒸しタマゴを買った。

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1590年(天正18年)、徳川家康が関東下降の際、摂津国佃村(現在の大阪市西淀川区佃)の漁夫33人が江戸に移り、1645年(正保2年)には現在の地に百間四方の土地を埋め立てて築島し永住することになり、この島を故郷にちなんで佃嶋と命名した。徳川家康公の江戸下降の際、摂津国佃の漁夫が、同地の住吉社の分霊を勧請して創建されたのが佃にある住吉神社。

石川島播磨重工業の造船所跡地を再開発し、川沿い建てられた高層マンション群大川端リバーシティ21には、政府高官、芸能人、スポーツ選手、実業家が多く在住しているそうだ。

ここは、戦前からの古い町並みや釣り船と超高層マンション群が隣り合わせにあり、不思議な風情を醸し出している。まして生粋の関西人が集まっていた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%83_%28%E4%B8%AD%E5%A4%AE%E5%8C%BA%29

佃大通りを歩くと、狭い路地の奥に、イチョウの巨木に守られるように地蔵さんがある。佃天台地蔵尊だ。江戸が拡大していく中で、佃は漁村であり島であった。震災や戦災にもあわず、再開発にも無縁であったことをここにある狭い路地は証明している。

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佃の路地の幅は、狭いところでは1mにも満たない。

路地をくぐると、尾崎波除(なみよけ)稲荷神社がある。鳥居の脇には「さし石」と呼ばれる力石(力比べをする大石)がある。ビリーズブートキャンプのビリー・ブランクスなら持ち上げられるのだろうか。

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その少し先の赤い橋が、佃を渡る佃小橋だ。堀には釣り船もあり、堀底の泥の中には、佃祭りの大幟オオノボリを立てる6本の柱と、それを支える抱カカエが埋めてある。腐食を防ぐ保管方法であるそうだ。江戸時代には江戸城からも見えるほどの大幟であったそうだ。橋や堀端に立てられた高札にも趣きがある。文面も、「徳川幕府より建立を許された」と書いてある。

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小橋を渡って右の路地を進むと住吉神社がある。
摂津から佃島に入植した漁師たちが、地元から勧請した住吉神社(大阪市住吉区)の分社だ。この神社の大祭(佃祭)は勇壮な漁師の祭りとして人気があり、船で大勢の見物客が訪れた。

神田お玉が池、小間物屋・次郎兵衛さんもその一人だった。

境内はコンパクトだが、佃の漁師の祭神を祀った社殿は威風堂々のたたずまいだ。

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鳥居にかかる扁額(文字を書いた板)は、珍しい陶製のもので、明治15年(1882)の作とされている。

神社の前から隅田川に向かうと、緑青色をした「一の鳥居」が見える。そのすぐ近くには駄菓子屋で子供たちが集まっている。私の好きな詩人吉本隆明も佃で幼少をすごしている。こんな風だったのだろうか。

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その前を右折し、水門近くの橋を渡って佃公園に入る。この公園を含む佃一丁目の北半分、超高層ビルが立ち並ぶ「大川端リバーシティ」の一帯は、同じく隅田川河口の干潟を埋め立てた「石川島」で、江戸時代には「人足寄場」(犯罪人の矯正と職業訓練を行う施設)が設置されていた。

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石川島灯台の下のベンチで、缶ビールで焼き豚と蒸しタマゴをいただくこととしよう。

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佃島側へ戻り、堤防の下を少し歩くと、佃島渡船場跡の碑がある。
「佃の渡し」は隅田川で最後まで残った渡し船で、佃大橋が架けられるまで300年以上続いたそうだ。この碑の付近には、佃名物である佃煮の老舗が何軒か集まっている。

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次郎兵衛さんは、このあたりで女性に声をかけられた。

佃祭りより
暮れ六つの”しまい船(最後の便)”に乗り込もうとする時、一人の女性に引き留められ、乗り損なって帰れなくなった。彼女曰く「3年前吾妻橋から身投げをしようとした時に、三両のお金を恵んでくれて助けてくれた。その人が旦那さんではありませんか?」、「その様なことが有りましたっけ」「そうです。やっと見つけました」「はっきりと思い出したが、帰ることが出来ませんよ」。「家は漁師だから舟でお送りしますので、是非我が家へ」と招かれて落ち着く。外がザワザワと騒がしくなるので、火事か喧嘩かと聞くと、しまい船が沈んで誰一人助かっていないと言う。次郎兵衛さんは泳げないので九死に一生を得て、彼女に逆に感謝する。
亭主の漁師・金太郎が帰って来て、お互いに感謝をしあい、ヤキモチ焼きの奥さんの手前なにがなんでも帰りたい次郎兵衛さんに、救護が落ち着いたら、後で送るからと酒を勧めて歓待する。次郎兵衛さんの家ではその情報を知って、手回し良く葬儀の準備万端整えて、執り行っている。奥方は悲観にくれていると、金太郎に送られ戻ってきた次郎兵衛さん、彼と別れて家に着くと、葬儀の真っ最中。お互いビックリしながら、無事だったことを祝ながら感謝する。経を上げていた住職が帰り際、「情けは人の為ならず」と説教、同席者みんなで納得しあう。


この後に、サゲの話が続く。
昔は薬があまり無かった。どこかが痛ければ神頼みだ。好きなものを断つとか、お供えをするとかして願をかける。当時は、歯が痛いと戸隠稲荷に梨の実を納めて、痛み止めを願ったのだそうだ。それを知らなければ、このオチはよくわからない。

それを聞いていた、輪の中の与太郎さん、人間良いことをすると必ず良いことがある。と、ガッ、ガガーンと頭の芯まで感じて、自分の財産を売り払い、三両の金を作って、身投げを捜す。3日目にやっと見つけて喜んで止めにはいると違っていた。「私は歯が痛いから涙ぐんでいた」、「だって、袖に石が入っているじゃないか」「これは戸隠さんに納める梨ですよ」。

私もある願をかけるために、タバコを1年間やめることにした。しかし、夜にお酒が入るとどうしても吸いたくなる。とうとう1本吸ってしまった。しかたない、会社では吸わない。夜は吸うことにして、禁煙を2年に延長だ。果たして願は叶うのだろうか。

小雨が降ってきたので、佃大橋を渡って帰ることにしよう。

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この記事へのコメント

ホリイ
2019年02月03日 15:50
一番はじめの佃島の路地の写真の場所を探しております

もしお分かりになるのであればご連絡いただけませんか?

holy1031@yahoo.co.jp

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